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米軍施設では火災があっても、消防は自由に立ち入れない 相模原爆発事故

2015年8月24日未明の午前0時45分ごろ、神奈川県相模原市中央区にある米陸軍施設「相模総合補給廠」で爆発があったようだと、近隣の住民から110番通報が相次いだ。

また、基地の職員から、消防に「火災があった」との連絡が入った。

 

相模総合補給廠は、196ヘクタールの敷地内に、米軍の物資を保管する倉庫や修理工場が入っており、今回の火災はそのうちの倉庫一棟で出火したものと見られている。

米軍によると、出火元となった倉庫内には、ボンベと酸化物が入っており、爆発時、ボンベのような物が周辺に飛び散ったとみられる。

倉庫内にどのような物が保管されていたか、現状では不明なため、消防活動は放水を行わず、米軍と協議して行われる方針だ。

ただし、火の勢いは既に弱まりつつあるということで、現在、けが人の情報も入っていない。

相模総合補給廠はJR横浜線相模原駅にも近い市中心部にあり、周辺には住宅街や学校もあるものの、倉庫に隣接する建物はなく、延焼の恐れはない、としている。

 

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米軍側の規制のため、警察や消防は当初、出火場所に近づくことはできなかった。

 

これは日米地位協定に基づく取り決めで、日本国内にある米軍基地には、火災の際の消防活動の場合でも、現場に入る場合、米軍側の許可が必要になる。

参院で審議中の安全保障関連法案とも関連し、「消火活動の遅れ」に依拠して、日米地位協定に対する批判が強まる可能性もありそうだ。

 

過去の似た事例としては、2006年10月21日に佐世保基地弾薬補給所で火災があり、米軍は独自に消火活動を行い、佐世保市消防局の立ち入りを許可しなかった、ということがある。

怖い話 『指』

 

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先日、私の勤め先の病院に、高校時代の同級生が運ばれてきました。

 

彼は高校の頃から、いつもピアノを弾いているような奴で、卒業後はフランスに留学。

今ではそれなりに名のあるピアニストとしてやっているということを、ほんの数ヶ月前の同窓会で聞いたばかりでした。

高校時代は、そんなに親しいわけでもなかった私たちでしたが、その同窓会をきっかけに、ときどき会うようになり、友好を温めていた矢先の出来事でした。

 

彼は路上で暴漢に襲われたのでした。ピアニストとして成功している彼を恨んだ人物の犯行のようです。ピアニストの生命線である右手首を、刃物で切りつけたのです。

 

私は医者として、できる限りの処置をしましたが、右手首は切断せざるを得ませんでした。

彼が人生を捧げたピアニストとしてのキャリアは、もう終わってしまいました。

 

麻酔から覚めて、彼は私に聞きました。

「あ、君が助けてくれたんだね・・・。まったく、災難だったよ・・・」

「いったい誰にやられたんだ」

「突然のことで覚えていないんだ。酔っていたしね・・・。それよりも、右手の指、また、ピアノ弾けるようになるかな?」

「・・・・・・・・・」

 

麻酔から覚めた同級生は、右手首が紛失していることに気づいていないのでした。

幻肢という症状で、これは特段珍しいものではありません。

目で見れば直ちに分かることなのですが、右腕に分厚い包帯が巻かれていたこともあって、彼は気付かなかったようなのです。

 

私は友人が落胆するのを見るにしのびず、

「もちろん、治るよ」

と、嘘を言ってしまいました。

事件の後ショックも大きいことだし、このことは、しかるべきときに告げよう。

そういう心づもりでした。

私は居たたまれず、そそくさと病室をあとにしました。

看護婦にはもちろん、「右手のことは言わないように」と、緘口しておいて。

 

それから、普段どおり、私は別の患者たちを診療して過ごしました。

事情を知っている看護婦たちは、皆口をそろえて、私の友人を憐れみました。

中には、彼のピアノのファンもいたようです。

 

私も一度だけ彼の演奏を聞かせてもらったことがありましたが、それは素晴らしい演奏でした。

ラヴェルの「水の戯れ」でしたが、本当に水の流れの中に身を置いているような気になってしまうような、そんな流れるような演奏でした。

ピアノのことは何も分かりませんが、彼が優秀な演奏家であることは分かりましたし、その技術が永遠に失われたことは、全く残念なことです。

 

午後の診療も終わり、黄昏時。

もうずいぶんと日が暮れるのは早くなってきました。

残った事務作業を終わらせ、私も帰宅の途につくことにしましたが、その前に、やはり彼を見舞うことにしました。

 

彼は病室のベッドで、家族が置いて行った楽譜を一心ににらんでいました。

事件の直前まで練習していた曲です。

彼は楽譜に集中していて、私に気づかない様子でした。

私は罪悪感に胸が痛みました。

「こんなにも音楽に熱中している彼が、本当は右手を失っているということを知ったら、どんなに悲嘆に暮れることだろう・・・・・・」

 

「どうだい、調子は?」

静寂に耐えかねて、私がやっとのことで声をかけると、彼は譜面から顔を上げて、こっちを見ます。

「うん。だいぶ良くなったよ」

「それはよかった」

「ねえ。今この曲を練習しているんだけど、右手も使っちゃダメかなぁ。左手だけだと、調子がつかめなくって・・・」

と、彼は私が答える間もなく、両手を前に突き出して、ピアノを弾くような格好をし始めました。

 

私は、咄嗟に「まずい」と思って、彼の尺骨神経の個所を指で押さえました。

ここを刺激しておくと、指がなくても、あるような錯覚を脳に与えることができるのです。

彼は変な顔をしましたが、

「あ・・・。患部を動かしちゃ・・・いけないからね・・・」

と説明すると、納得した様子でした。

彼は夢中で架空の演奏を続けました。

「うん。右手もよく動く。これなら、またすぐ演奏できそうだ・・・」

 

私は、自分が咄嗟にやったことで、余計に後ろめたく、一刻も早くこの場を逃げたい、そんな気持ちになっていました。

私は神経を押さえる、という道化のような役を、看護婦の一人と交代して、家に帰ることにしました。

本当に暗澹たる気持ちでした。

 

薄暗い廊下を進んで、病院の裏口へ。

夜は表玄関は閉まっていて、救急患者用の裏口しか空いていません。

夜の病院は、今でも不気味です。

医者が病院を怖がるというのも変な話ですが、暗い廊下は何度通っても慣れません。

 

手術室の前に一人の看護婦が立っているのが見えました。

私のよく知っている看護婦です。

「お疲れ様です。さようなら」

私はこう彼女に声をかけようとしたのですが、どうも奇妙な感じです。

彼女はまるで私の存在に気づいていないようで、顔は青ざめ、眼は異様なほど大きく見開かれていました。そうして、彼女は手術室の中にある棚の何かを凝視しているようでした。私が近寄っても、微動だにしないのです。

「いったい何が…」

私は思わず手術室に入って、その棚を見ました。

そこには、あの友人の右手首をアルコール漬けにした、大きなガラス瓶が置いてあったのです。

 

そのガラス瓶を一見して、私は看護婦と同じように、まるで大きな針でその場に縫い止められたかのように、身動きが取れなくなってしまいました。

声も出ず、ただ心臓の鼓動が、その巨大な音を、私の脳内に響き渡らせていました。

体中の汗腺から気持ちの悪い汗が吹き出し、私の視線は、まるで磁石のN極がS極に惹きつけられるかの如く、そのガラス瓶に吸い寄せられていきました。

 

アルコールの中で、彼の手首が、いや、彼の五本の指が、白い蟹の脚のように動いていました。

ピアノの鍵盤をたたく調子で、しかし、実際の動きよりもずっと小さく、幼児のように、たよりなげに、しきりに動いていたのでした。

そのさまは、全く独立した生き物のようでもあり、そして、私が以前に一度だけ見た、彼のピアノを弾いている指の動き、流れるような、機敏な動き、そのものでした。

 

どれくらいの間、私は金縛りにあっていたのでしょうか。

身じろぎひとつできないまま、永遠とも思える時間が経過しました。

その間に、指は一つの生き物のように動きを続けていました。

だんだんと、私は目の前が白くなっていくのを感じました。

「ああ、私は気絶していっているのだ」

気絶したことは今まで一度もありませんでしたが、不思議な感覚でした。

 

その後の同僚の話では、どうやら私は、手術室前の看護婦ともども気絶していたようです。

私が気絶している間に、友人は別の病院に移送されてしまっていました。

担当医師の私に心身上の問題が疑われる、ということと、私のほかに、まともに外科の予後を見ることのできる医師が、この病院に居なかったことが理由のようです。

ただ、どの病院に移送されたのか、ということはよくわかりませんでした。

友人はすっかり姿をくらませてしまいました。

ピアノが弾けなくなったのがよっぽどショックだったのでしょうか。

 

復帰したとき、あのアルコールのガラス瓶も無くなっていました。

彼と行動を共にしたのだと思いますが、もう二度とあのガラス瓶の中の生き物とは出会いたくない、そう思っています。

 

 

 

江戸川乱歩『指』(1960年1月)より、改変。

今日は「処暑」 暑さが終わると共に、台風がやってくる

ずいぶん涼しくなってきましたね。

 

今年の夏の盛りは8月の上旬だったみたいですね。

東京では、7月31日から8月7日まで、8日連続で猛暑日を記録し、1875年の観測開始以来最長となりました。

 

しかし、8月8日の立秋の後には、東京では上空に寒気が入ってくるなどあって、大気が不安定な状態に。

雨が降るなどしたため、気温は順調に下がってきました。

 

そして、今日は二十四節気で、「処暑」。

つまり、「暑さ納め」ということですね。

暦便覧には、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」とあります。

 

例年通りだと、この後、台風が日本によくやってくるようになります。

 

実際、今年も、台風15号石垣島、16号が小笠原にやってきていますね。

15号は今後、沖縄、九州に近づき、上陸の恐れもありそうです。

 

今年は、既に台風11号、12号が上陸しています。

比較的、台風の発生自体も、上陸数も多い年になると考えられます。

 

暑さが終わったと思ったら、台風と、良い季節はなかなかやってきませんが、天気は仕方ないですね。

台風15号は強い勢力を保っています。

今後の台風情報に注目です。

 

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台風第15号 (コーニー)
平成27年08月23日17時50分 発表

<23日17時の実況>
大きさ -
強さ 強い
存在地域 石垣島の南西約50km
中心位置 北緯 24度05分(24.1度)
  東経 123度50分(123.8度)
進行方向、速さ 北北東 15km/h(8kt)
中心気圧 945hPa
中心付近の最大風速 40m/s(80kt)
最大瞬間風速 60m/s(115kt)
25m/s以上の暴風域 全域 90km(50NM)
15m/s以上の強風域 南東側 390km(210NM)
  北西側 280km(150NM)

 

 

朝鮮半島で高まる緊張 これまでの経緯

朝鮮半島で緊張が高まっている。

事の発端は、2015年8月4日に非武装中立地帯で起きた、地雷爆発事件だ。

 

北朝鮮と韓国の間には「国境線のようなもの」があるが、実は、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定で引かれた軍事境界線(MDL Military Demarcation Line)であって、国境線でも何でもない。

北朝鮮と韓国は、いちおう建前上は、「休戦」しているだけであって、朝鮮戦争は「終結」していないのだ。

 

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今回の地雷爆発事件が起きたのは、その軍事境界線の南北それぞれに約2kmの幅で設定された非武装中立地帯(DMZ Demilitarized Zone)である。

ここは地雷原になっており、民間人は普通立ち入ることができないが、両軍の兵士は互いの監視のため立ち入りが許可されている。

もちろん、普段の巡回コースには地雷がないことが確認されているのだが、その普段の巡回中に、今回の地雷爆発事件があった。

 

8月4日午前7時35分ごろ、京畿道坡州市の非武装中立地帯で見回り中だった韓国軍の下士官2人が、軍事境界線から韓国側に440メートル入った地点の鉄柵付近で地雷を踏んだ。

爆発は3回。

被害を受けた兵士の1人は右足を、もう1人は両足をそれぞれ切断する大けがを負った。

 

韓国側は米軍と共に調査を進め、最後に巡回した7月22日には異常がなかったことなどから、最近になって北朝鮮軍によって埋設されたと結論し、8月10日、この事実を公表。

北朝鮮を強く非難する声明を出すとともに、拡声機を使った軍事放送を11年ぶりに再開する報復措置をとった。

この軍事放送の内容の詳細は不明だが、金正恩体制を批判するものと推測されている。

 

軍事放送再開を受け、北朝鮮の国防委員会政策局は14日、韓国側の主張は「謀略と捏造」であるとする談話を発表。

20日には、南北の軍事境界線付近で砲撃戦が勃発し、北朝鮮は「22日夕刻までに軍事放送を中止しなければ、軍事的行動を取る」と、国営メディアを通じて一方的に宣告。

翌21日には「準戦時状態」を宣言した。

 

韓国側の世論も強硬論に傾きつつあったが、軍事衝突を回避したい両政府は、22日18時半から、軍事境界線にある板門店で会談を開始した。

会談には韓国側から金寛鎮=大統領府国家安保室長、洪容杓=統一相が、北朝鮮側からは黄炳瑞=軍総政治局長、金養建=朝鮮労働党統一戦線部長が出席。

北朝鮮側は「軍事放送の中止」、韓国側は「地雷爆発事件の事実認定」を求めているものと見られるが、交渉は妥結せず、23日早朝に一時中断。

23日15時より、会談が再開されている。

 

8月4日の地雷爆発事件の背景には、アメリカと韓国が最近行った合同の軍事訓練に対する北朝鮮の懸念があるとみられる。

また、今回、北朝鮮が「軍事行動」の可能性まで告げて、強硬に対処したのは、それだけ北朝鮮の国情が悪く、韓国側の宣伝放送が北朝鮮に大きな打撃を与える可能性があるということだろう。

もちろん、北朝鮮お家芸の「瀬戸際外交」という伝統を踏襲しているにすぎないのかもしれないが。

 

一方、韓国側でもこれまでにない強硬な姿勢を取っているのは、これまでセウォル号事件やMERS問題、あるいは対日政策で強硬になりきれず、信頼を失いつつあった朴槿惠政権の支持率回復方策の一環であるという、うがった見方もできるだろう。

本格化する「映像」捜査 寝屋川少年少女殺害事件から「現代の捜査」が見える

8月13日の夜に犯行が行われたと推測されている、高槻少女殺害事件。

平田奈津美さん(13)と共に行動していた星野凌斗さん(12)の遺体も発見されたため、今後は「寝屋川少年少女殺害事件」と表記していきたいと思います。

 

現状では、まだ事件の全容は見えず、21日に平田さんの死体遺棄容疑で逮捕された山田浩二容疑者(45)の証言が待たれるところです。

 

今回の容疑者逮捕の決め手となったのは、防犯カメラの映像解析でした。

遺体発見現場となった高槻市の物流会社の駐車場の防犯カメラに映っていた、不審な車。

京阪寝屋川市駅前商店街の防犯カメラに、事件当日の早朝まで映っていた、被害者の2人。

京阪電鉄の防犯カメラには2人は映りこんでいなかった。

国道170線沿いのコンビニや防犯カメラの防犯カメラに映っていた、山田容疑者の車。

そして、山田容疑者が帰宅する様子を映した、マンションの防犯カメラ。

 

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最近の警察捜査の主流が、防犯カメラの映像解析にあることが伺えます。

イギリスが400万台以上の防犯カメラを備えた、「防犯カメラ大国」であることは知られていますが、日本でも、実はそれに匹敵するくらいの防犯カメラが設置されているようです。

防犯意識の高まりということなのでしょうね。

Googleストリートビューにしても、なんとなく「監視されているような」気がしてしまって、あまり愉快でない気持ちもありますが、今回の事件のように犯罪捜査に役立つ面を見ると、その効用に期待も大きくなってきますね。

 

一方、今回の事件の捜査では、LINEのメッセージの解析も行われていたようです。

といっても、今回はトラブルに巻き込まれた時間を推定する程度の役にしかたたなかったようですし、また、LINEのメッセージについては「なりすまし」疑惑も出ているようですが…。

携帯電話の解析も、最近の警察捜査の重要な手段であることが分かります。

 

今後はどのような捜査が行われるのか、ということに対する予想ですが、まずは「山田容疑者の証言を引き出す」という昔ながらの方法が一つ。

もう一つは、遺体の発見現場に残っていた犯人の髪の毛などのDNA鑑定、というのが行われると考えています。

あるいは、容疑者所有の車内であったり、自宅から、被害者の髪の毛などが見つかれば、その証拠能力は高くなりますね。

DNA鑑定は、これまでの事件捜査でも活躍してきた方法です。

今回も、DNA鑑定が、一つの決定的な証拠になるのではないか、と予想されます。

 

今回の寝屋川少年少女殺害事件。

とても悲しい事件であるとともに、映像解析、携帯電話解析、DNA鑑定、といった現代の事件捜査の様子が、ところどころ垣間見える事件ということもできそうです。

亡くなられたお二人のご冥福をお祈りするとともに、いち早い事件解明を望みます。

 

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堀北真希が電撃結婚! 馴れ初めは6年前に遡る…

女優の堀北真希さん(26)が、俳優の山本耕史さん(38)と入籍したことを、8月22日、発表しました。

全く前兆のないことで驚きですが、まずは、2人のコメント全文をチェックしてみましょう。

 

堀北さんのコメント

私事ではありますが、私、堀北真希山本耕史さんと本日8月22日に入籍致しました。

突然、このようなご報告を書面でいたしますことをお許しください。

山本さんとは、6年ほど前にお仕事で知り合いましたが、舞台「嵐が丘」で共演し、山本さんの人柄を知るうちにひかれ、お互いにこれからの人生を共にしたいと思うようになり、この度、結婚の運びとなりました。

まだまだ未熟で至らない私たちですが、今後とも変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

平成27年8月22日

堀北真希

 

山本さんのコメント

皆さまへ

このたび、私、山本耕史は女優の堀北真希さんと結婚することとなりました。本日8月22日、婚姻届を提出できましたこと、人としておおきな責任感と、またさらなる使命感に満たされ襟を正しています。

2009年「アタシんちの男子」で初めて出会い、そして今年5月「嵐が丘」での共演まで約6年、願ってのこのたびの入籍となりました。

これからも生活面、仕事面において皆さまの教えや励ましを真摯に受け止め、今まで公私にわたり支えてくれた方々へ、引き続きこれからお世話になる方々へ、また堀北真希さんのファンの皆さまへ、そしてすべての皆さまへの感謝の思いをしっかり抱き、二人、手を携えて、新しい人生を歩んで行きます。

この新しいスタートをあたたかく見守っていただければ、この上なくありがたく思います。

2015年8月22日

山本耕史

 

 

12歳という年の差、交際2ヶ月での電撃結婚、ということで、驚きのニュースですね。

しかし、山本さんのコメントを見ると、実は6年前の「アタシんちの男子」で出会ったときから、山本さんの方では既に堀北さんに惹かれていたことが伺えます。

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その後、なかなか共演の機会はめぐってきませんでしたが、今回「嵐が丘」で共演するのをきっかけに、一気に交際をスタートさせた、という感じでしょうか。

舞台はテレビドラマと違って、練習の時間も長くなり、一緒に居る時間が増えるといいます。

堀北さんを狙っていた山本さんとしては、まさに千載一遇のチャンス到来と言った感じだったのでしょう。

 

なにはともあれ、お二人、おめでとうございます!

「おもひでぽろぽろ」の子供時代は1966年! ジブリ映画の時代設定をまとめてみた

金曜ロードショージブリ作品が放送されていますね。
今日は「おもひでぽろぽろ」でした。
回想シーンは時代を感じますね。

 

いったい、いつぐらいの時代を描いているのでしょうか?

 

調べてみると、物語の中の「現在」は1982年。
30年前…既に相当昔ですね(+_+)
主人公の妙子ちゃんは27歳ということなので、1955年生まれ、小学5年生の回想シーンのほとんどは1966年ということになります。

 

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1960年代と言えば、世界では冷戦の緊張が高まる中、宇宙開発なんかも進んでいて、日本では東京オリンピックなんかもあって高度経済成長まっただ中の時代です。
小学生視点なので、なかなかそういうのは見えてきませんが、時代を知ると作品に対する見方も変わってきますね。

 

というわけで、ジブリ作品の中でSF要素が薄く、時代設定が比較的はっきりしているものを調べて、年表にまとめてみました。


1923 風立ちぬ関東大震災の様子から)
1929 紅の豚世界恐慌時代のイタリアという設定から)
1945 火垂るの墓(終戦直後に清太は衰弱死)
1953 となりのトトロ(テレビのない時代設定)
1963 コクリコ坂から
1966 おもひでぽろぽろ(回想シーン)
1982 おもひでぽろぽろ
1994 平成狸合戦ぽんぽこ(ただし、昭和の多摩開発をテーマにしている)
1995 耳をすませば
2001 千と千尋の神隠し
2002 猫の恩返し


風立ちぬ」は、主人公の子供時代から技術者として活躍する時代までを描くという伝記的要素の強い作品なので、まさにコレという年があるわけではありませんが、1920年代から30年代を描いていますね。一応はっきりと時代が分かる描写として、関東大震災がありましたので、1923年を代表させておきました。

 

となりのトトロ」が「火垂るの墓」からたった8年後というのは、ちょっとした発見ですね。
戦争の悲劇から、平和な田舎の風景へ、たった8年。
時代の流れの早さでしょうか。
それとも、視点の変化でしょうか。

 

コクリコ坂から」と「おもひでぽろぽろ」の回想シーンは、ほぼ同じ時代ですね。
1960年の安保闘争から過激化した学生運動の影響、という社会的な時代性を強く感じる「コクリコ坂」に対し、「おもひでぽろぽろ」の時代性は「ひょっこりひょうたん島」などの文化面に重点がありそうです。
主人公が高校生と小学生、という違いもありますね。

 

来週の「平成狸合戦ぽんぽこ」は、「平成」と名が付いていますが、昭和の多摩ニュータウンの開発がテーマです。
「平成」と名付けたのは、過去のことではなく、現在も続いている問題だということを意識させるためでしょうか?
次週、しっかり見直してみましょう。

 

耳をすませば」、「千と千尋の神隠し」、「猫の恩返し」は、「現代」を描いた作品ですので、映画の公開時期と一致させています。
猫の恩返し」ですら、もう10年以上前と言うのは、個人的には、なかなか隔世の感があります。

 

社会や政治、文化の年表と見比べると、また新たな発見があるかもしれませんね。

以上、ジブリ作品の時代設定でした。